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熊本エスペラント会

 

自筆原稿で楽しむ
蘆花・愛子の世界旅行記
『日本から日本へ』
第一巻 第一篇
英語・エスペラント語対訳

2008510日 発行

発行者 熊本エスペラント会

    会長 吉田正憲

事務局 869-1101 熊本県菊池郡菊陽町津久礼226816 木野榮二方

    電話:0962321818  ファックス:0962321818

発行所 文堂河島書店()

    860-0845  熊本市上通112 電話:0963521701

価格  2,500円(+税)

 

徳富蘆花・愛子夫妻は第一次世界大戦の終結を機に一年以上に及ぶ世界一周の旅に出て、その記録を 『日本から日本へ』と題する共著の旅行記にまとめた。この旅行の大目的は、蘆花夫妻が父 徳冨一敬の師、横井小楠の思想を借りて世界平和を訴える公開書簡を書き、聖地エルサレムから各国首脳に送るという世間の意表をつく行為となって現れたが、それは彼らの新しい宗教的自覚に基づく信念の実践でもあった。

 

しかも著者夫妻は旅行記の冒頭部分を英語とエスペラント語対訳という形で共同翻訳したが、その原稿は80年以上も未発表のまま東京都杉並区蘆花恒春園に保管されていた。今回、熊本エスペラント会が蘆花恒春園のご好意によって自筆原稿のコピーを入手し、51011日に熊本市交通センター・ホテルで開催される第82回九州エスペラント大会の記念事業として出版することとなった。日本のエスペラント運動100周年(2006年)を記念する仕事の一つとして実行されたこの翻訳解読作業が、このような形で出版されるのは、「公益法人くまもと21ファンド」の助成によるものである。

 

出版に当たって私たちは、英語とエスペラント訳の下にそれぞれの「読み」を活字で入れ、原作の該当箇所を引用して、相互の比較検討を容易にした。更にこの作品と、その翻訳についての理解を助けるために、いくつかの解説・エッセイを加えた。その執筆者はエスペラント会の会員だけでなく、熊本蘆花の会会長 中村青史氏、熊本近代文学館(前)館長 久野啓介氏、熊本市徳富記念園(元)館長 畠村 卓氏も含まれる。

 

私たちはこの出版が、蘆花夫妻の胸中にあった国際平和への熱意に読者の注意を向け、彼らの生涯に新たな視点から取り組む契機となることを期待している


熊本を訪れた「太陽君」と「お月さま」

2003923日、突然フランスから「太陽君」と「お月さま」と名乗るハンサムな若い夫婦(エスペラント名は ”Suno” ”Luno”)が熊本を訪れました。本名はPierre-Yves HerrouëtElodie Paul、フランスのトゥールーズ出身で、年齢はどちらも30歳くらい。アジアの各国、ロシア、モンゴル、中国、韓国を経由して日本を訪れたのですが、これから先、東南アジア、南米、北米を回ると言っていました。

彼らはエスペラントを学び始めてから、ほぼ1年たったばかり、学習を始めた動機を聞くと次の通りでした。

たまたまアイスランドに大勢の仲間と観光旅行に行ったところ、そこはご存知の通り火山の国で、溶岩が溢れ出し、盛り上がって新しい大地が生まれ出ている現場。草も木もない、真っ黒な湯気の立つ真新しい大地を目の前にして、地球上には、まだ自分達がまったく知らない未知の世界が沢山あるのだと気付き、世界を見て回りたいと思ったそうです。

直ぐにでも出発したいと思ったのですが、意思疎通のためには先ず外国語を学ぶことが必要。幸いにも知合いにエスペランチストがいて、その人から3ヶ月ほど教えてもらい、後の細かいことは旅先で勉強して補おうと決めて出発しました。

熊本エスペラント会では23日の夜、有志が集って彼らの歓迎会を開きました。会場はエスペランチストで「アポロ」さんこと「鳥料理よしだ」の店(新屋敷1丁目)。初対面なのに大いに話がはずみ、ある時は紙に地図を書き、ある時は絵を描いて単語のやり取りをしながら、エスペラントでの会話を楽しみました。そして鳥料理も一緒に美味しく味わいました。 

易しく学べるエスペラントで、世界中どこにでもいるエスペランチストの善意に頼りながら、こんな冒険旅行を楽しんでいる人たちが沢山いるのです。

「太陽君とお月様」

  

「太陽君とお月さまを囲んでのささやかや懇親会です。」

 

チェコ共和国ヤン・ドゥーダさんからの挨拶

ヤン・ドゥーダ(Jan Duda)さんは、かつてプラハのチェコ国立交響楽団の一員(ヴァイオリニスト)として来日し、熊本での演奏会にも加わりました(200111月7日、熊本県立劇場において)。その折に熊本エスペラント会の会員達が集って、演奏会の前日、ニュースカイ・ホテルのロビーで歓迎会を開き、2時間ほど歓談しました。

翌日の演奏会には、オーケストラの団員は二人の客を招待する資格があるというので、私達エスペラント会の会員のうち二人が招待の切符をもらい、演奏を聞きに行きました。主要な曲目は、世界の名曲としてお馴染みのドヴォルザークの交響曲『新世界より』、よく訓練されたオーケストラの名演奏に感動しました。

帰国後、ドゥーダさんは日本滞在中のすばらしい印象や、熊本での会員との歓談をたびたび懐かしく思い出したそうですが、たまたま住所を教えておいた私(吉田)に、次のような挨拶を会員の皆さんに伝えて欲しいと、先頃手紙を送って来ました。エスペラント文を日本語に直してご紹介します。

私の心からの挨拶と思い出をお受け取り下さい。私はヴァイオリニストで、チェコ共和国プラハの国立交響楽団のかつての団員です。2年前の今頃、私たちのオーケストラが貴方の町で演奏会を開きました。そして私は貴方や、他の会員たちに会いました。それは私の生涯で大変美しく忘れられない瞬間でした。私は今でも毎日、私が知ったあの町々のことを、知合った人々と同じように思い出します。ずいぶん沢山の人達でしたが、エスペランチストたちの列の中から目立って現れた人たちを、とてもはっきりと思い出します。その方たちとの個人的な接触は私には忘れられない贈物でしたから、そのために大変感謝しています。

  今や私は年金生活者で、めったに演奏する機会がありません。種々の活動をしていますが、貴方の国と人々と文化への愛情は今も続いていて、貴方の国と関係のあるすべてとの接触を何とか保てるよう絶えず努めています。日本滞在中に集めた沢山の材料は、それをもっと豊かにするための基礎で、私はこの分野で十分に成功しています。こんな風にして私は自由時間の一部を過ごし、それは私に満足と幸福をもたらします。

  貴方の町のエスペランチストたちと会って何人かの方と知合いましたが、その方々に貴方を通して心からのご挨拶を送ります。個人的に連絡するための住所を知りませんので。しかし私の思いはその方たちの方へと飛び、どなたも仕事でも家庭生活でも、多くの健康と幸福と満足と成功とに恵まれますよう祈っています。

 私はかなりの健康に恵まれ、種々の活動を行っています。火曜日ごとの会合でも活動していて、そこで私たちは講演を行ない、初心者向けの言葉の講習会も開きます。また、種々の地方や全国の集会にも参加します。本もたくさん読みます。なぜなら今や私は、その活動に十分な時間が得られたからです。亡くなられた或るエスペランチストの形見として数冊の立派な本を買い取ったばかりで、私はとても幸せです。本が、特にエスペラントで書かれたものが大好きだからです。

  私たちの所ではすでに秋で、この季節のあらゆる兆候が見えます。ずいぶん寒く、雨が降り、木々や公園の植物は、様々な色の美しい劇場を見せてくれます。貴方の国の同様な状況も思い出します、カメラを持って景色に見入る旅行者たちがいました。貴方たち日本人は、こういう表情をした自然を眺めるのが好きだと私は知っています。

  記念祭を機会に、一言ご挨拶を申上げました。貴方と知合になったことを嬉しく思い、貴方の仕事にも、多くの健康と幸福と満足と成功がありますよう祈ります。どうぞお元気で。心からの挨拶を込めて

  オロムーク  2003年11月8日                 ヤン・ドゥーダ

下記の詳細はクリックしてください。

(1)ハイデルベルク市との橋渡し―エスペラント

エス語が結ぶ姉妹都市

(3)徳富蘆花と妻愛子ー隠れたエスペランチストたち

 

事務所:熊本県菊池郡菊陽町津久礼2268-16 木野榮二方 電話096-232-1818  

役員:会長 吉田正憲、副会長 中山久仁子、事務局長 木野榮二、会計担当 保村翠

会員数:20

活動状況:総会 年1回、ほかに例会、運営委員会など

学習会 毎週土曜日、午後1時から4時まで 熊本市国際交流会館ロビーにおいて

ザメンホフ祭 1215日か、その前後。エスペラントの創始者ザメンホフの誕生を記念する集まり

外国人エスペランチストの歓迎会

機関紙 Vojo Senlima”(エスペラント語で「限りなき道」の意)を年4 回発行。B5判1012ページ。

 

「エスペラント」とは何か

エスペラントとは、ポーランド人の眼科医ザメンホフ (Zamenhof) が考案して1887年に発表した、

どの国の国語でもない「中立的国際語」。ザメンホフがこれを発表するときに用いたペンネームDr Esperanto(「希望する人」という意味)が、この言葉の名前になった。

  熊本エスペラント会は1922年(大正11年)の創立以来80年にわたり、純粋な民間ボランティア活動として、エスペラントの普及と活用により国際理解を深めるために活動してきた。 太平洋戦争中には、創始者ザメンホフの理想を受け継ぐ平和思想のため、エスペラント運動が弾圧を受けた時期もあったが、戦後その活動は復活して今日に至っている。

熊本エスペラント会の活動の中で特筆すべきことは、かつてこの会の主要な会員で熊本市役所の職員でもあった平野雅曠氏が、熊本市とハイデルベルク市との友好都市締結のために尽力したこと。当時の石坂繁市長の意向を受けて、平野氏はエスペラントを用いてハイデルベルク市のエスペランチストと連絡を取り、それがきっかけとなって両市の提携が実現した。

また200010月、熊本市において開催された日本エスペラント学会主催の第87回日本エスペラント大会では、熊本エスペラント会は九州エスペラント連盟と協力して共催者の役割を果たし、諸外国からの来訪者25名を含めて285名の参加者を迎え、大会を成功させた。

今後、我々は全世界の国々・人々との相互理解を目指して国際交流をますます進める必要があり、そのためにも「中立的な国際語」エスペラントの役割は一層重要さを増すと確信している。

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